私が京都の精進料理屋で、働いた時の経験を書いてみたいと思います。
もう10年以上前の話ですが、自分には昨日の事のように思えます。
私は京都に住み始めて2年経った頃で、その頃パティシエとして働いていたのですが、料理に興味を持ち始めていました。実家が色々な農作物を育ていた環境で育った私は、特に京野菜に関心がありました。何の求人募集も出ていなかったけれど、家から近くの老舗の精進料理屋に電話をかけ、雇ってもらえないですかと聞いたところ、即採用して頂き、とりあえず中居として料理の仕込みも手伝いながら働く事になりました。
精進料理とは、殺生が禁じられている仏教の料理で、魚や肉を一切使わない、菜食主義の食事です。煩悩を避けるのに、五葷といわれる匂いのきつい、ニンニク、ニラ、ネギ、玉ねぎらっきょうも禁じたりもします。精進には仏道に修行に励む、一生懸命努力するという意味もあります。
そこは主に、由緒あるお寺の料理を作っていました。お葬式や法事、檀家さんの集まりの仕出しや、お寺の行事、花の会、小豆粥の会などの食事を担当、観光客にお寺を公開する食事付のツアーなどもやっていました。
お寺関連の仕事が多かったので、お寺へ行く機会が沢山ありました。修行僧はいつも黙っていましたが、高い位のお坊さん達は、すごく傲慢で私達に肉料理をだせ、女をだせと言ってきました。雑念と煩悩の固まりですか?と聞きたくなる程で、良い印象がありません。今でもお坊さんを見ても、若い頃は厳しい修行を積まれたとは思いますが、残念ながらあまり有難い気持ちになれません。
精進料理屋は、いつも料理長がどなりちらして、殺伐とした雰囲気でした。そこには小西さんという障害者の人が皿洗いで働いていました。小西さんは、体は何ひとつ不自由はないのですが、脳に問題があって、いつもひとりでブツブツ独り言を言っていました。たまに大声でわけのわからない事をわめき続けるような事もありました。料理人の方々は、小西さんに殴る蹴るの暴行をしていると噂で聞いていました。私は実際に一度だけ、見てしまいました。その時、料理長の他に3人料理人がキッチンにいました。いつものように小西さんはわぁわぁ何か言っていました。料理長が消えたとたん、一人が「黙れ小西!」と言って小西さんを蹴りだしました。もう一人の、まだ若手の料理人もフライパンで小西さんの頭を殴りだし、副料理長はただ黙って見ているだけでした。
小西さんは「痛い痛いやめて!」と言っているのに、2人でボコボコにしていました。
私は年配の中居さんと、もう一人の若い女の子と一緒に仕込みを手伝っていましたが、年配の中居さんは「小西がうるさいから悪い。」と言って笑っていて、もう一人の女の子は「まただー。」と言っていました。私はショックで言葉を失ってしまい、助ける事もできませんでした。
でもあの時、助けられなかったのではなく、助ける勇気がなかったのです。もし「辞めてください」と止めに入ったりでもしたら、年配の中居さん達に何を言われたもんかわかりゃしないと思った自分がいたと思います。
料理場の環境もひどいものでしたが、中居さん達の人間関係、しがらみ、妬みはもっと恐ろしいものでした。上品さを装って中身がひがみでいっぱいという、知りたくない世界でした。
私は精進とは名ばかりの人々を見て、1年で辞めてしまいましたが、あの時小西さんを助けられなかった自分が情けないです。せめて辞めてから密告すればよかったと後悔しています。
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おお…なんということでしょう(^◇^;)
本当になんということだったのでしょう、すごく酷い醜いですよね。何もできなかった自分はすごく恥ずかしいです。
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いやいや、なかなかその場にいたら難しいと思いますからご自分は責めないでくださいね。
温かい言葉をありがとうございます。自分を責めるより、これから自分にできる事を探していかないとですね。今はあんな事が起こっていないよう願うばかりです。
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