思い出のサンフランシスコ
昨日、タッドウィンドシンフォニーニューイヤーコンサート2020にいった。演奏は、楽しめたのですがその話ではなくて、アンコールで演奏された曲が思い出のサンフランシスコでした。
そとのきタッドさんが、題名は言わないが私はシナトラよりトニー・ベネットのほうがいいね。そう言ったら題名がわかってしまうよね。聞けば都市は関係なく誰でも知っている曲だし。そう言って始まった曲です。
この曲は、すきです。たまに、近所迷惑で家族にも迷惑だが、家でも演奏したりする。もうすこし練習しよう。人前では、まだまだ演奏できない。
#サンフランシスコ
自分にとってもサンフランシスコは、思い出深い。たぶん、若い時に一番行った外国の町である。そうえいば、サラリーマンをやめてからいった外国もサンフランシスコだった。
情報の仕事をすーとしているが、シリコンバレーが隣にあり、いまでも情報をやっていれば、気になる街である。当時は、bsdがそこで開発されていた。
行ってみて、ゴールデンブリッジの意味もわかる。インターネットの仕事をしていれば、シスコのマーツの意味も感慨深いものがある。
時間ができたら、行ってみたい。もう何年も連絡していないともダニにも連絡してみようかなと思う。たぶん、だれも当時の会社にはいないので、探すのは大変かもしれない。
インターネットとサンフランシスコ
この両者の関係を説明できる人は、相当古い人である。なぜ、情報の仕事をしているとUNIX(Linux)を学んだほうがいいのかという話になる。これは、本を書きたいと思ってます。20年ぐらい前にUNIXの本を書いているので、その続編みたいな感じで書きたいです。
思い出ついでに
霧につつまれたゴールデンブリッジを一度だけ見たことがある。サンフランシスコのポスターでは有名であるが、本当の姿を見たのは1回位だけである。
仕事でサンフランシスコにいっていいて帰ろうとしたときに、湾岸戦争が始まった。この話はいずれしたいです。そのため、どうしても早くに出なくてはいけなくなった。当時、サンフランシスコ市内ではなくて、湾の対岸の北のほうの会社の仕事でそこのモーテルに泊まっていた。有名なbest westen hotelである。だから、ちょうど橋をわたって空港に行くのである。
感傷にしたっている場合ではない
昔話になってしまったが、引退できる状況ではないので、次のアクションをどうするか考えなくては、いけない。
もっと前に進まないといけない。思い出にしたる暇はない。