お金と聖書

in #japanese8 years ago
イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 (聖書)

 こんな言葉を読んだら、「イエス・キリストは反金持ちだ」と思ってしまうことでしょう。しかし、クリスチャンであるトレーダーから、聖書にはこういう物語があることも教えてくれました。 

ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」と言った。 
さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。最初の者が進み出て、「御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました」と言った。  主人は言った。「良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。」
二番目の者が来て、「御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました」と言った。主人は、「お前は五つの町を治めよ」と言った。
また、ほかの者が来て言った。「御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。 あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。」 主人は言った。「悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。 ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。」 そして、そばに立っていた人々に言った。「その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。」
僕たちが、「御主人様、あの人は既に十ムナ持っています」と言うと、 主人は言った。「言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。 」(ルカによる福音書第19章から抜粋)

 キリスト教というのは現実的だと思いました。そして、キリスト教の神は厳しい神だとも思いました。「持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる 」ということは、株の世界では毎日起きていることです。たとえば、成績の良いポートフォリオ・マネージャーには、資金がどんどん入ってきます。しかし、成績がパッとしないマネージャーには口座の解約が殺到し、資金は優れた成績を上げているマネージャーのところへ逃げていきます。 

 考えてみれば、証券会社のトレーダーも同じような扱いを受けていました。新入りトレーダーには少額な資金が先ず任されます。いつまで経っても良い成績が上がらない場合は、責任者はトレーダーを首にして、残った資金を最も成績の良いトレーダーへ渡します。 

 実は、この物語を読んだ後、一つの疑問が浮かんできました。「御主人様、申し訳ありません。商売に失敗し、預かったお金を全部失ってしまいました」と僕が言ったら、主人はこの僕をどう扱ったでしょうか。機会があったら、物語を教えてくれたトレーダーに聞いてみようと思います。 

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一番上の引用だけは知っていて、私もキリスト教は反金持ちだと思っていました。勉強になります。
それにしても、聖書に「銀行」「利息」といった話が出てくることにビックリしてしまいました。

私も「銀行」という言葉に違和感を感じました。英語の聖書でも、その部分は「Bank」という単語が使われていました。キリストが生きている頃は、どの程度の利息があったのでしょうね。

これは面白い話ですね!
聖書にこういった物語があるとは初めて知りました。

なかなか現実的な話ですね。私も読んで面白いと思いました。